2019年12月12日木曜日

楽器の概念

あるときふと思った。

 楽器とは何か

今回は楽器というもの「内面的」な要素を考えてみたい

楽器に必要なこと;
 音が出ること
 
これは楽器が持つ特性である

 叩く、弾く、こする、揺する、吹く

いろいろな方法で音を出す。
そして、楽器をさわる人の行動目的は、音を出すことと、出した音を合わせて奏でることである 


さて、奏でるとは何か

 演じること、会場の注目を集めること、自己表現をすること、みんなで楽しむこと、個人で楽しむことなどのように言える


ではこれらの究極目的は何か

 前向きになること、人生観を省みること、生きる意味を見出すこと、むやみやたらに考えることから解放され、感じること、(数千年前では)森羅万象と一体になること、神に捧げること


これらは認知心理学のいうところの、(人が集団で生きていく上で必ずと言っていいほど生まれる)負の感情から解放されるための手段とも言えるのではないだろうか

簡単に宗教と認知心理学について触れてみたい。
宗教と認知心理学についての大抵の本に書かれていることは、
 ・事実をそのまま認知するまでで止めておけ、
 ・その事実に対して感情を抱くことは苦しみを生む行為である
というものである。

例えば泣いている赤ん坊を見たら「赤ん坊が泣いている」と認知するまでで止めておきなさい、としている。
ここでもし「赤ん坊が泣いているから→うるさい」「かわいい」「たのしい」などのように感情を認知すると、その後に「静かな場所に移動しよう」「親に注告しよう」などのように心が変化していき、結果として「こうしたい」という欲が生まれ、行動できない苦しみや諦め、行動することによる周囲への圧力が生まれ出るため自他共に誰も得をしなくなるよ、という感じだ。

ともするならば(音楽が宗教と認知心理学に近いならば)、人が集団で生きていく上で必ず必要になってくるものであり、集団がある限り存在し続けるものである


さて宗教とは何か

 発明品である

頭がいい人が愚者をまとめるために作り出した発明品である

信者は発明品に金を払う
頭がいい人が儲かる、というものである


音楽においてはどうか

「歌詞や楽曲に込められた思い」などのように綺麗な表現をCMではするが、これらは(歌詞や楽曲は)綺麗なものではなく、ただの発明品である。
作曲者や作詞家が作った金儲けの方法である。
それも愚者を統治するための発明品である。

さて、音楽に夢中になっている者、演奏に夢中になっている者は、その構造に気がつかない。
芥川龍之介の地獄変のように狂ったようにアートに集中する。

しかしそれは音楽という発明品を通して自己をなくし、「頭がいい人」に搾取される行為でもある

自己表現のための音楽が、追求すればするほど自己性を失い、他人に搾取されていくのである


この点で音楽は非常に社会主義的であり、自由主義ではない。

自由主義的な音楽とは追求しない音楽、フィーリングによる音楽、考え込まない音楽であり、これができる者こそ「才能のある人」とか「天才」とか言われる。
しかし実際の大多数の人は才能もセンスも天才ほどないので努力で音楽をカバーしようとしてしまい、結果、社会主義的な音楽になっていく。

たいてい社会主義的になった音楽は、その作曲の仕方も独特である。
フッと頭に浮かんだ音楽を譜面に書き落とす作曲行為は実に自由主義的であるが、一方で少しずつ楽曲を考えてはひねり出したフレーズを足していき曲想や曲構成を考えて構築していく行為はなんとも社会主義的であり努力主義的であり、自由な自己表現とはいえない。

これは自己表現でもなんでもなく、自分で自分を束縛する行為でろう。

自己を解放するための音楽で自己を縛ってはいけない
音楽という発明品に乗せられて搾取されてはいけない

音楽はいつも自由の象徴であり、我々人間の心の奥底に常に有るべきものなのである。

楽器、これは扱い次第によっては自己を苦しめるが一方で扱い次第によっては自己を解放して自由を導き出してくれるものなのだ。