ふと思ったが、最近全くシンセサイザーをいじってない
何故か考えてみた
シンセサイザーに出会う前は音楽にしか興味がなかった
楽曲という方が良いか
ベートーベンとか王道の「音楽」に興味があった
ピアノ自体にはあまり関心がなかったのである
だがある日、音自体に興味を持った
曲ではなく音、楽曲ではなく楽器
midiは楽譜であり、弾く楽器の情報ではない
楽器は何とか音源とか言われている
でこの音源というものを探っていくとシンセサイザーという音を出すシステムに行き着く
というか行き着いた
でシンセサイザーについて色々調べた結果、色々分かった
基本波形やらfm変調やぱPVMやら合成やら開口端補正やらLPFやらボイスシンセやら
ダイナミクス系エフェクターやらディレイやらaudiounitやらアナログモデリングやらwavesやら
キリがない
y =sin(RLC)
的な関係も分かったし実際にシンセサイザー(ソフト)も作った
ただあくまで音であり、曲の構成要素である事は変わらなかったし楽曲の魅力にシンセが勝ることはなかった
でそのまま月日は流れた
スピーカーも調子が悪くなり、PCも思ったような動作をしなくなり、logicはどんどん使いにくくなり、結局ある日を境に音楽自体をやらなくなった
というより熱情が冷め、こだわることに意義を見出せなくなった
今思えばそれは、自分のためではなく、他人のために音楽を作っていたからだと思う
で、価値も何のメリットも感じなくなって音楽から手を引いてしまった
ただいつの時も心の奥底には
音楽(音ではなく音楽)がずっと有った
いかなる時もそれは消えることがなかった
そして今ではMacBook air1台のみで、logicを適当に動かして、作りにくい環境で音楽を楽しんでいる
やはり、音楽に対する想いはずっと変わっていないのだ
ただ以前のように、変化を追いかける勢いや熱情、若さは薄まり、代わりに音楽という形を追いかけたいと思うようになった。
「形」
それは構成要素である音はもちろんだがそれ以上に楽曲を追いかけていきたいという想いから出てきたものであり、バンド等を通して人と音楽を共有しなければ生まれてこなかった感情だろう
今では音楽を「会話のすべ」のように扱い、同じバンドのメンバーと意思疎通をしている
だからこそだ
だからこそ楽器であるシンセは触ることさえあるにしても、深追いする対象ではなくなってしまったのだ
これがシンセサイザーに最近触る機会が減った理由その1である