2019年12月20日金曜日

先の先のその先に関して


東京ドームのそばを歩いていると、ドームツアー客がふらふらしていることが多い

今日はUVERWORLDなのか
先週末はKinki kidsだったっぽい
などなど

大物っぽい人は土日祝日のライブが多いようだ
一方で平日は大物と比べると劣るが人気のミュージシャンが多いようだ

特に野球のシーズンでないときは音楽的なイベントが多いように感じる

街を歩いている人も、ライブに合わせてか合わせずか、似たような感じの人が多い

で、気づいたが、総じて若い(〜30前半)人が多い気がする
(ただしジャニーズは別だが)

転職で東京に来てから会社と家の往復ばかりで、都心を何も楽しんでいないが、なんとかしたいと願う





2019年12月19日木曜日

夜と音楽

世の中にはいろいろな音楽がある。
で、例えば夜に聴く音楽は何がいいか、というと、それは個人の好みや趣味、気分によって大きく変わる。

ようは「気分による」というなんとも当たり前の結論になる

ただ、何故だろうか、一歩踏み込んで考えてみた
(特に何も意見することはなく、当たり前のことが当たり前に結論として導き出されただけだが)

まず夜というと、重いものは嫌だ。ハードロックやヘヴィメタルなどはとても重く聴くのがしんどい。
 一方で軽すぎるのも嫌だと思う。アイアイやアンパンマンのテーマ等を聞かされても困る。
 
 やはり中間のお洒落なイメージを抱いている音楽がいい。スローテンポのジャズのような。
 そのまま眠れる上にうるさすぎて誰かに迷惑をかけることもない。
 
クラブミュージックはというと、意外とこれも眠れる。クラブのように爆音で聞くのではなく、小さくして聞くと、キックドラムがいい感じに眠気を誘ってくる。

ただ、どのジャンルにおいても言えることは、
なかなか「これ」という音楽はないということである。
自分にとって最高の音楽に出会えるまでは聴き続けたりすることである。
それでもなかなかであるものでもないが。



2019年12月18日水曜日

バンドの方向性(初編)

0.はじめに
 これは筆者がバンドをする上で気付いた内容であり、後世へのメモである。

1 .バンドの方向性の重要度について
 バンドの方向性やイメージは、その後活動を進めていく中で非常に重要である。
方向性やイメージは、バンドの見た目や楽曲、ステージ演出からCDのジャケットデザイン、売り込みの展開の方向性などに非常に大きく関わってくる。
方向性を見誤るとバンドの存続さえ危ぶまれる。

2. どう決めるべきか、進めるべきか
 では方向性はどう決め、どう展開していけば良いか。
またメンバーとどう共有して次の目標にどうつなげていけば良いか。
そしてそれによりリスナーにどういった体験をして貰いたいか、このビジョンがないと方向性は見えてこない。

3. 諸論
 バンドを進める上で何となく方向性を決める事はだれでもやる行為である。
一人で音楽活動をする場合でもバンドで活動する場合でも同じように、たいていのミュージシャンは何となく方向性を決めている。
雲のように曖昧なイメージな事が多いが、初めはそれで十分である。

 そしてある程度楽曲やライブが増えてくる。
すると「こういう方向性にしよう」と言う意見がバラバラに出てくる。
個人の場合は方向性に関する考えがまとまらなくなって来る。
 その後、その方向性に合わせてどうバンド展開していけば良いか分からない、という状態になる。

 さらに人によっては(バンドによっては)無理矢理方向性を決めて進めようとする。最初に決めた時と同じように。ただ、その方向性に関してバンド内に同意しないメンバーがいたら、場合によっては何も決まらず何も進まらず、停止したまま、ネガティブになったままその案は消えていく。場合によってはそれが発端となり解散や活動停止になる。

だからこそ方向性については、どう展開していくかを初めに意識合わせをし、さらに活動していく中でも意識合わせをしないといけない。


4 .意識合わせに関して
 よくあるビジネス本には「まず誰をターゲットにしたいか」を考えなさいと書いてある。これはビジネスをする上では非常に重要であるが、音楽を仲間内と楽しむという見方からは多少ズレている。
より重要な要素は「それが楽しいのか」「面白いと思えるか」である。
趣味でやる音楽においては、何も顧客第一主義である必要はないのだ。
さて前提について語ったので次に意識合わせ方法の具体例について触れたい

5. 3項目
バンドメンバーと意識合わせをするにあたって共有すべき情報とそうでない情報は下記のごとく。

①共有した方が良い項目
 ・バンドがどうありたいか ・何を視聴者に見せる、聞かせるべきか
 ・どうやって実現するか

②時々小出しに共有した方が良い項目
 ・お金
 ・時間
 ・楽曲リソース

③共有しない方がいい項目
 ・ネタや面白み、汚れ役等の度合いはどこまでか
 ・内外の人間関係に関すること
 ・心づもり(決して明かすべきでない)

6.①共有したほうがいい項目
 共有することでバンドの意識を高めたい、というのがこの項目であり目的である。
 どんな方向性にしたいか、男性向けなのか女性向けなのか中高生向けなのか年配者向けなのか、応援してくれそうな人は誰なのか、どんな層に好まれたいのか、その層は何をきっかけにして自分たちの音楽を手にしてくれるのか
そういったことを細かく話し合い共有することが重要である(具体的にどうやって議論を進めるか、ニーズ発掘はどうするかについては和治ビジネス本をひらけば多数書かれているのでここでは割愛する)
 また、それらをどうやって実現していくかを考えることも重要である。
 方法と、計画である。
計画はできれば3ヶ月先くらいまでのやることリストまでに落とし込めると後が楽である。
 もし方法のせいで計画完了日が遅くなるなら、いっそ方法を見直すのも手である。方法や道具は最大限に買う用紙少しでもいいものを少しでも早く作り出すことを考えるべきである。

7.②時々小出しに共有した方が良い項目
 お金と時間と楽曲リソースを後悔すればするほど聞かされたメンバーは疲弊していく、と考えたほうがいい。
 これらは生きていく上でも削り難い現実的な項目であり、メンバーは聞かされた分現実と直面し、魂を削られることになる。
 会計面等はできればあまりバンドメンバーと共有すべきではない。もし共有するなら、気心の知れた友人や身内にとどめておくことである。もちろんバンドにこういった身近な人がいれば何も問題はない。

8.③共有しない方がいい項目
ここに書いたことは共有するべきではない。バンド内外にこの話を聞かされて嬉しい人は一人もおらず、それどころか敵対する相手がいた場合は手の内を相手に明かすことになり、その瞬間それまでの人間関係は保てなくなる。一度この考えを知られてしまえば相手に手の内を見せたも同然、2度と周囲から期待されなくなり、究極に不利になり、相手に付け込まれ、信用は回復せず、永久的に愚者呼ばわりされるのみである。
 だったら初めから黙っている方がいい。
 美輪明宏さんも言っていたが「見ざる聞かざる言わざる。口からは宝石だけを出していればいい」のである。

9.共有すべきタイミングと結果確認について
 やはりいうべきタイミングはいつか、それがどうバンドに影響を及ぼしているかを探ることが重要である。
 言うべきたいタイミングは正直いつでもいいが、できれば相手がリラックスしている時がいい。
 そして結果については項目別に考えるべきである。上記の内面的項目に加えて、どの程度作用しているかを端的に確認するのである。
 さて、確認というと難しそうな気がするが、そうではない。要は相手がとった行動を見ればいいだけである。
 一部の不誠実な人は口先だけとかその場しのぎが多い。そこでこのような見た目で騙されないために重要なのはいった内容ではなく取った行動である。
 共有して計画を立てて、さて相手がとった行動はどうだろう、と観察するのである。
 もし観察した結果何も進んでいないのであればその人間はバンドには不要な人間である。

10.考察
 意識共有に関して上記内容により観察し、必要な条件を十分に満たすメンバーであれば次の計画を立てるべきである。そうでない場合はバンドの存続が困難になるであろう。
であれば方向性の見誤りが原因なので、改めて方向性について協議をするべきである。
 これが次の意識合わせのタイミングとなる。
 
以上がバンドの方向性についての初めの意識合わせに関する内容である。


2019年12月17日火曜日

ライブとコンテンツ(音楽ビジネスという「何か」について)

僕の周りのミュージシャンたちは口をそろえて言う言葉
 「ライブやりたいね」
ところで、なぜライブにこだわるのであろうか

ふと疑問に思ったので、音楽とお金という観点からライブを考えてみた
というかそもそもライブはお金になるのか

僕の数少ないライブ経験からすると、全く持ってお金にはならない気がする。

さて、ではプロミュージシャンだったらどうなのだろか


色々調べたが、プロだろうと大物だろうと、結論、ライブはビジネス=直結とはならない

やっぱり
 手間がかかる=お金がその分飛んでいく
というのが根本にある。

リハーサルの準備、楽器の手配、スタジオの手配、人員の調整
ステージング、光源調整、メディア展開、宣伝、当日の大量の人員、機材運営
撤収人員、経費計算、ファン広報などなど

音楽でビジネスが成り立つのはコンテンツをうまくビジネスに応用できた時である。

不動産のように、株のように、「存在」すればお金が入ってくるのがコンテンツビジネスである。
そう考えるとライブはコンテンツビジネスからかけ離れた場所にある。


サザンオールスターズ、坂本龍一等の有名なミュージシャンが明かしている。「ライブは赤字が多い」
L'Arc〜en〜Cielもライブは(現在はそんなことないが以前は)赤字であった。
福山雅治の年末の野郎夜についても、空席が出てましった1回目と3回目年は赤字である。

ではなぜライブをするのか。
彼らにとってライブとは営業活動である。
営業活動と捉えているからやれるのである。
ライブ会場に物販や飲食店があるのはそのためである。


大物ですらこうなのだから、無名ミュージシャンともなるとかなりきつい。
儲けなど皆無である。

そもそもチケットが売れない。
独自のコネを使ってライブチケットを売る、などはもう流行らない。
今時アナログな方法ではコンテンツは売れないのである


僕の周囲には演奏の腕が天才レベルなのだがなぜか売れない人たちが大量にいる。
そして彼らは口をそろえて言う 「音楽は金儲けの道具ではない」と。
おそらくは心の底で誰もがそう思っている。

宗教、科学、医療なども同様だ。
本来はそうあってほしいのが世の中の全員の意見であろう。
 
人の世が続く限りはたしてそのような音楽は生まれるのであろうか。


2019年12月12日木曜日

音楽の進化


あるとき思った。
ボーカリストやリードの存在意義は何か


現在溢れている音楽には当たり前のようにリードがある。
なぜ音楽にリードがあるのか

リードボーカル
リードギターなど


たぶん雰囲気だけだと暇だからだろう、と思う。
それにバンドで曲想を練るときもリードが要る要らないか、曲の隙間を埋める音をどうするか等を考えている。
でないとリスナーを退屈させたり、どの音を集中して聞けばいいか迷ってしまう。

ではリードだけの音楽はどうだろうか。
いうまでもなくリードだけだと寂しい。

リードと伴奏が揃ってやっと「普通の音楽」と定義できる気がする。


さて、なぜ雰囲気だけではいけないのか、リードだけではなぜいけないのか

例えば芸術やアートが世界を模したものであるなら、伴奏は何に値するのだろうか。

おそらく身の回りに溢れる音は生活音と定義される。
まさしく雰囲気の音である。

森林を散歩していたら鳥のさえずりだったり草木や虫の音だったりする。
とつぜん楽曲が流れることはない。
かと言ってリードも流れない。
環境音だけである。

リードは発話者や会話者との声などとも考えられるが、音階を奏でることはないだろう。
主役の音として、声が鳴っているだけである


おそらくリードと伴奏は、誰かが定義して、それに慣れた人々がいて、習慣化したものである。
グレコリオ聖歌のような賛美を称える歌がより具現化して、演奏しやすく雰囲気を伝えやすく形を変えていき、さらにセンスがある人がバランスを整えて形にしたものが、現在の最新の音楽なのだろう。

そして後追いで声はリード、環境音は伴奏と定義し始めて変なことになってきていると思う。


今まだ音楽は進化過程である。どっちがどっちなどと安易な言葉で定義して縛りつけるべきではない。

音楽はまだ進化する。
技術や人々の考え方、世界情勢等その時代によって音楽はまだまだ変化する


雰囲気だけの音楽は受け付けない世だが、明日の音楽の形は誰にもわからない


変遷をへて、形を変え、進化をする。
ある意味では世を模した、生きた何かである。
まさに進化した音楽は今日も存在しているが、変化に取り残された音楽は消えていく。
数年のあいだにアンビエントやグリッチホップなど消えていったジャンルは数知れない。

変われるものだけが生き残る。

私もそう生きたい





楽器の概念

あるときふと思った。

 楽器とは何か

今回は楽器というもの「内面的」な要素を考えてみたい

楽器に必要なこと;
 音が出ること
 
これは楽器が持つ特性である

 叩く、弾く、こする、揺する、吹く

いろいろな方法で音を出す。
そして、楽器をさわる人の行動目的は、音を出すことと、出した音を合わせて奏でることである 


さて、奏でるとは何か

 演じること、会場の注目を集めること、自己表現をすること、みんなで楽しむこと、個人で楽しむことなどのように言える


ではこれらの究極目的は何か

 前向きになること、人生観を省みること、生きる意味を見出すこと、むやみやたらに考えることから解放され、感じること、(数千年前では)森羅万象と一体になること、神に捧げること


これらは認知心理学のいうところの、(人が集団で生きていく上で必ずと言っていいほど生まれる)負の感情から解放されるための手段とも言えるのではないだろうか

簡単に宗教と認知心理学について触れてみたい。
宗教と認知心理学についての大抵の本に書かれていることは、
 ・事実をそのまま認知するまでで止めておけ、
 ・その事実に対して感情を抱くことは苦しみを生む行為である
というものである。

例えば泣いている赤ん坊を見たら「赤ん坊が泣いている」と認知するまでで止めておきなさい、としている。
ここでもし「赤ん坊が泣いているから→うるさい」「かわいい」「たのしい」などのように感情を認知すると、その後に「静かな場所に移動しよう」「親に注告しよう」などのように心が変化していき、結果として「こうしたい」という欲が生まれ、行動できない苦しみや諦め、行動することによる周囲への圧力が生まれ出るため自他共に誰も得をしなくなるよ、という感じだ。

ともするならば(音楽が宗教と認知心理学に近いならば)、人が集団で生きていく上で必ず必要になってくるものであり、集団がある限り存在し続けるものである


さて宗教とは何か

 発明品である

頭がいい人が愚者をまとめるために作り出した発明品である

信者は発明品に金を払う
頭がいい人が儲かる、というものである


音楽においてはどうか

「歌詞や楽曲に込められた思い」などのように綺麗な表現をCMではするが、これらは(歌詞や楽曲は)綺麗なものではなく、ただの発明品である。
作曲者や作詞家が作った金儲けの方法である。
それも愚者を統治するための発明品である。

さて、音楽に夢中になっている者、演奏に夢中になっている者は、その構造に気がつかない。
芥川龍之介の地獄変のように狂ったようにアートに集中する。

しかしそれは音楽という発明品を通して自己をなくし、「頭がいい人」に搾取される行為でもある

自己表現のための音楽が、追求すればするほど自己性を失い、他人に搾取されていくのである


この点で音楽は非常に社会主義的であり、自由主義ではない。

自由主義的な音楽とは追求しない音楽、フィーリングによる音楽、考え込まない音楽であり、これができる者こそ「才能のある人」とか「天才」とか言われる。
しかし実際の大多数の人は才能もセンスも天才ほどないので努力で音楽をカバーしようとしてしまい、結果、社会主義的な音楽になっていく。

たいてい社会主義的になった音楽は、その作曲の仕方も独特である。
フッと頭に浮かんだ音楽を譜面に書き落とす作曲行為は実に自由主義的であるが、一方で少しずつ楽曲を考えてはひねり出したフレーズを足していき曲想や曲構成を考えて構築していく行為はなんとも社会主義的であり努力主義的であり、自由な自己表現とはいえない。

これは自己表現でもなんでもなく、自分で自分を束縛する行為でろう。

自己を解放するための音楽で自己を縛ってはいけない
音楽という発明品に乗せられて搾取されてはいけない

音楽はいつも自由の象徴であり、我々人間の心の奥底に常に有るべきものなのである。

楽器、これは扱い次第によっては自己を苦しめるが一方で扱い次第によっては自己を解放して自由を導き出してくれるものなのだ。




2019年12月10日火曜日

波形(前編)

ふと思ったが、最近全くシンセサイザーをいじってない

 何故か考えてみた



 シンセサイザーに出会う前は音楽にしか興味がなかった
楽曲という方が良いか

ベートーベンとか王道の「音楽」に興味があった
 ピアノ自体にはあまり関心がなかったのである

だがある日、音自体に興味を持った
曲ではなく音、楽曲ではなく楽器

midiは楽譜であり、弾く楽器の情報ではない

楽器は何とか音源とか言われている

でこの音源というものを探っていくとシンセサイザーという音を出すシステムに行き着く
というか行き着いた

でシンセサイザーについて色々調べた結果、色々分かった

基本波形やらfm変調やぱPVMやら合成やら開口端補正やらLPFやらボイスシンセやら
ダイナミクス系エフェクターやらディレイやらaudiounitやらアナログモデリングやらwavesやら

キリがない

y =sin(RLC)
的な関係も分かったし実際にシンセサイザー(ソフト)も作った

ただあくまで音であり、曲の構成要素である事は変わらなかったし楽曲の魅力にシンセが勝ることはなかった

でそのまま月日は流れた

スピーカーも調子が悪くなり、PCも思ったような動作をしなくなり、logicはどんどん使いにくくなり、結局ある日を境に音楽自体をやらなくなった

というより熱情が冷め、こだわることに意義を見出せなくなった

今思えばそれは、自分のためではなく、他人のために音楽を作っていたからだと思う

で、価値も何のメリットも感じなくなって音楽から手を引いてしまった


ただいつの時も心の奥底には
音楽(音ではなく音楽)がずっと有った

いかなる時もそれは消えることがなかった

そして今ではMacBook air1台のみで、logicを適当に動かして、作りにくい環境で音楽を楽しんでいる


やはり、音楽に対する想いはずっと変わっていないのだ

ただ以前のように、変化を追いかける勢いや熱情、若さは薄まり、代わりに音楽という形を追いかけたいと思うようになった。

「形」

それは構成要素である音はもちろんだがそれ以上に楽曲を追いかけていきたいという想いから出てきたものであり、バンド等を通して人と音楽を共有しなければ生まれてこなかった感情だろう


今では音楽を「会話のすべ」のように扱い、同じバンドのメンバーと意思疎通をしている

だからこそだ
だからこそ楽器であるシンセは触ることさえあるにしても、深追いする対象ではなくなってしまったのだ


これがシンセサイザーに最近触る機会が減った理由その1である

2019年12月8日日曜日

現地の調査

音楽をする上ではセンスが重要ですけどもちろん努力も必要です

友達が言うには、ある程度の努力と経験を積んで初めてはなさくものらしいです

友達と言ってもプロのミュージシャンの人ですが


努力って言ってもすること多すぎです

ただ"聞く"、"弾く"、"ステージに立つ"が基本らしいです


なのでいっぱいステージに立とうと思います


今までステージから一番遠いところから見ていたので、何も分かっていなかったのです
音楽というか生演奏というものの良さを